Posted by on 8月 26, 2020 in Director’s Profile

上野聡司(籍名上野 修)

1951年京都生まれ。
同志社中学・同志社高校・同志社大学経済学部卒業。
同志社高校ではサッカー部主将。
同志社大学サッカー部に在籍したが生憎持病の右膝が原因で退部。その後海外へ行くためにアルバイトをしながらネイティブから英語を習い始める。
大学2年生の時、大学在学中、1971年~1972年にかけて、4.5ヶ月間一人旅に出る。

写真:ニューヨーク

当時は、学生が単独でVISAの取得をすることは難しく、アメリカ人の友人から招待の手紙を書いてもらい、それを持って神戸三宮アメリカ領事館で領事との直接面談。
Have a Good Trip!  B2 Visa取得。
アメリカ大陸をグレイハウンドバスを乗り継ぎ横断。3weeks 99ドル ロス・サンフランシスコ・モンタナミズーラ・ミルウオーキー・シカゴ・ニューヨーク・ボストン。ニューヨーク・ワシントンDC

写真:バークレイ(あちこちでマリファナの匂いがしていた)

帰国路はイギリス、オランダ経由、鉄道で西ベルリンへ。西ベルリンの壁の中で2週間滞在。東ベルリンからモスクワ経由で空路東京へ。
ロンドンでカメラ、トラべラーズチェックを盗まれたため、旅で撮りためた写真は何も残っていないが、警察に紛失届けをだしたり、アメックスに事情説明をして同額のチェックを再発行してもらったりと多くの経験を積む。

それまで、京都から一人で外出したことがなかったのだが、この経験は私の人生を大きく変えてくれた。京都に帰ってくると多くの留学生からパーティーや行動を共にする誘いがあり、一日中英語で話をして興奮していて心の昂りが覚めず寝床に入り、自宅の天井の木目を見ているうちに心が鎮まり寝る日々であったのを覚えている。アメリカ人、イギリス人、アイスランド人、ドイツ人、イタリア人、カンボジア人、スリランカ人などなど。

英語を勉強し始めたのは、帰国後で、毎日英字新聞を持ち歩き、知らない単語に赤字を入れて、自宅に帰ってから辞書で調べることを二年間ほど続けた。
その当時知り合った人の中には、後にデニーズをイトーヨカードーと展開し、環太平洋のマネジャーにもなったJay Noble、インド/オールドデリーですれ違った石井志津男さん( REGGAE MUSICを日本で初めて紹介し、自身のレーベルOVER HEAT RECORDを 開設した)、英語の教材に『A Bridge to Understanding (高見山 物語)[中央図書]を書いたジェフ・バーグランドさんら数多くの人たちに出会うことができた。

大学を卒業しアルバイトを続けていたが、将来を考え納得のいく仕事がしたいと思い、一人旅をしていたときに購入した「エディー・バウアー」の靴がとても気に入ったので商品の輸入販売を考え、本社へ日本で販売したいという旨の手紙を書いた。海外部長からは、素っ気のない返事であったが、秘書のJUDYから赤字のペンで、何をどうしたいのかを具体的に書いてないから・・・?との走り書きが添えられていた。

考えた挙句、
シアトルに行くしかない!
その2ヶ月後、シアトルエディー・バウアーへ

EDDIE BAUER Seattle

1977年アメリカ、シアトルのエディーバウアー訪問

倉庫に積み上げられたダウン

海外部長ジェームズ・マッコイとの二度にわたる直接交渉で、2年間に限り日本でエディー・バウアー商品の販売を認めてもらう。2年後には総代理店が決定していた。

EDDIE BAUER オンリーショップ トレードウインド外観 銀閣寺鹿ヶ谷通

日本で初めてのエディーバウアーオンリーショップ「トレードウインド」を1978年京都銀閣寺にオープン。小売をしながら、熊本、広島、岡山、大阪、名古屋、東京のショップへエディー・バウアー商品を卸販売。
ショップオープンは、同志社の後輩、上田正敬くんが格安で倉庫を貸してくださり、外壁のカナディアンシングル材は、奥さんの弟、建築家 安田滋さんが提案してくださって完成しました。数えきれない多くの方々のお世話になりました。

友人からの声がけで、1980年パリ・コレクション入場許可を取得。
コーディネーター・通訳として随行。渡航前にヨーロッパへ送信した業界トップ10(矢野経済研究所ヨーロッパ産業別資料を参考)への取引希望の手紙に対して返信があった企業とパリコレ会場で交渉。
帰国後、再度渡欧して同年、イタリア1社、英国2社で正式契約を交わす。特にイギリスでは、ジャガーでお出迎えをいただき、土曜日の午後親族が集まる”The  Tea”に招待された。

パリコレ会場

写真:シャルル・ド・ゴール空港

その後、ダンヒル、エルメス、王室御用達デザイナーを訪問し、高いブランドイメージを構築している会社の接客や応対、クレーム処理などについても垣間見ることができた大変貴重なものだった。

1983年デザイン企画会社フェアーウインドを設立
多くのプロジェクトに携わり現在にいたる。

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